一年の計は元旦にあり。

謹賀新年

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます


今年最初は何を書こうかと考えていたのですが、toshikaneさまよりリクエストがありましたので、その事について書いてみたいと思います。

大工になった理由と今の親方の弟子になったかについて書きたいと思います。

始めに、特に親類縁者に大工が居る事もなく、親の跡を継ぐ訳でもありませんでした。
なんとなく気が付いたらなってたと言う感じです。


始まりは、中学時代にさかのぼります。
中三の頃ですので平成3年位でしょうか。
誰にでもやってくる嫌な時期、そう「進路決定」です。
月一でやってくるテストや面談などを参考に、自分が行ける高校をリストアップして高校を決め、最初は工業高校の電子機械科志望でした。

偏差値が足りず、勉強嫌いも後押しした結果、建設科へ志望変更を余儀なくされました。
ここが大工に向かうターニングポイントでした。

同級生は必死に勉強をしているのにもかかわらず、進路決定してる仲間と受験前日までサッカーして遊ぶような状態でしたが、無事合格し入学出来ました。

高校3年間は勉強よりもバイトとパチスロに夢中になってました。
学校から帰ればガソリンスタンドでバイトをし、バイト休みは給料を握り締めパチンコ屋へ行くか仲間と峠で走り回るなど、勉強は二の次以下でしたね。

再び、ターニングポイントが来ます。就職するか進学するかの二択です。
まだまだ遊びたい気持ちが強くて就職はまったく考えていませんでしたので、求人票など一回も見ませんでした。
試験が簡単でまず落ちない所をという事で県立の職業訓練校に進路を進めました。

ここの時点でほぼ大工の道に片足を入れてますね。

学生気分は抜けませんでしたが、実習では段々面白くなってきて大工も悪くないかなと思い始めたのが夏頃です。
バブルも弾け、景気も悪くなり始めていたので、親からは職人なら一生困らないと言われたのも後押ししたと思います。

そして、卒業時期にまた進路決定です。
学校に来た求人票の中から選ぶ訳ですが、元々町内から出る気がなくて住み込みが嫌だった為、通勤出来る所が条件で探すと同じ町内であった今の親方の所しかなかった訳です。

先生に聞くと、ここは基礎もやるし今は神社もやってると言っていて、大工になる気になってた私にはピッタリと思ったんで、ここに決めて面接に挑みました。とんとん拍子で決まって即内定となりました。

今の親方は、そこからの付き合いでしたので、もう18年になります。
就職した頃はちょうど叩くのをやめた時でして、主に仕事を教わったのは兄弟子からですが、その兄弟子も最初から親方に教わってる人達でしたから、仕事内容は分身みたいな物でした。
その先輩たちも、ニ人を除き大工を今はしてません。
そのうち一人は独立し建築会社を起業し、私は時々行き来があります。

先輩たちが全員卒業した時は、まだ大工としてイマイチな頃でしたが、やらなければやる人が居ない状況になってしまい、必死で覚えようと頑張った時で、これが無ければ今に至ってはいないと改めて思います。


もの凄く長々書きましたが、結局の所、大工になったのは特に理由が無くて、気が付いたらなんとなく大工になっていたというって事ですよ。(笑)
でも、自分の良い所は、一度始めたら簡単にやめない所だと思ってますので、途中で投げ出さず今に至ってるんでしょうね。
今ではやめるにやめられない状態です。だって面白いんでやめたくありませんから。
(弟子入りして二年目で結婚したのですが、挨拶に行った時に解雇を言い渡されて30分頭を2人で下げた事は秘密です。)


初心を思い出し、今年も頑張っていきます。